| 1980年 |
当時日本最大手のレンタル会社、レンタルのニッケンの創業者他と共同で、米国シカゴにNikken International Corp.(現Americ Corp.)を設立、経営・管理と米国製レンタル機器の開発と対日輸出を手掛ける。1990年には$14.5 millionの売上を達成。 |
| 1980年 |
カガク印刷と米国NCR Corp.(現Eurand America, Inc.)間の液晶(マイクロカプセル)製造に関するライセンス契約を斡旋。 |
| 1981年 |
レンタルのニッケンに米国製ポータブルトイレを紹介。20年間に亘って、150,000セットを輸出する事業を開拓。 |
| 1982年 |
玩具のニッコーの始めての米国現地法人(Richardson, Texas)の設立と立上げに協力。 |
| 1982年 |
高級化粧品パッケージ印刷会社であるCultech社の米国現地法人の設立と立上げに協力、役員を兼務。 その後も経営コンサルティングを行い現在に至る。 |
| 1987年 |
明治電機工業の米国現地法人設立に協力、以来経営コンサルティングを行い現在に至る。 現在、米国現法Meiji Corporationの経営者を兼務、米国と英国の6ヶ所に支店を構え、年商$22 millionをあげている。 |
| 1989年 |
第一回の足利工業高校―エルクグローブ高校間の交換留学生プログラムを主催。両校の友好/語学交換の目的で創設された。 同プログラムは現在でも続いている。 |
| 1990年 |
米国シカゴにて家具付き共同事務所・インキュベーションサービスを開始。 日本からの進出企業にコンサルティング・市場調査サービスや事務所機能を提供し支援。 |
| 1991年 |
カガク印刷のホログラム業界参入を支援、Dazzle社とライセンス契約を斡旋し、偽造防止用途のホログラムの米国における部分生産ラボを創設。 ホログラムの部分生産・供給の協力をする。 |
| 1992年 |
Snorkel-Economy社の高所作業車を日本のレンタル市場への参入協力。 製品の仕様改良・改善を支援し、日本のレンタル市場で注目を集める商品に。 対日輸出を開始。 |
| 1993年 |
デンマークの農機・高所作業車メーカーである、Sonder Omme Maskinfabrik社訪問の高所作業車の日本市場参入を支援。 最初の2台を輸出。 |
| 1995年 |
ジェトロシカゴの主催の工業部品、材料の現地調達促進の目的で実施された第一回IPMM(米国工業部品・材料展:逆見本市)を支援。 同展を開催する為の米国工業部品・材料メーカーのサーベイ調査を実施。 IPMMは現在でも恒例イベントとして好評を得ている。 |
| 1995年 |
ジャパンリンク部門を創設。進出日系企業へのバイリンガルホームページ制作、掲載、運営・管理サービスを始める。当部門はITAの最も成長率が高い部隊となっており、業務範囲を企業内コンピューターネットワーク及び関連サービスを提供まで拡大。 5人のスタッフで中西部・シカゴ近郊の主要顧客40社への企業へサービスを提供している。 |
| 1996年 |
シカゴの姉妹都市である、大阪市と共同でシカゴ日本商工会議所の30周年を記念し、桜を植えるため、当社はボランティアで農場の選択と交渉、日本の桜の苗を農場にて育成。 元気に育った1,000本の桜の木はシカゴ市に大阪市とシカゴ市の更なる友好関係を願い贈呈された。 |
| 1996年 |
自社ビル購入。 Meiji Corporationとオフィスを共有。 これにより、Meiji Corporationは配送センターの機能を確立。また、ITAはコア事業である、市場調査、米国技術の対日輸出、及びコンピューターネットワーキングを強化することを可能とした。 |
| 1997年 |
米国の掘削機メーカーが多国籍企業の営業部門に買収され、仲介者は不要と判断され、ITAの業務担当部長が日本の代理店を含めた3社会議を開催し、日本の顧客のために年商$1 millionの商売に転換させた。 |
| 1998年 |
輸出、市場調査、及びコンピューターネットワークを兼務する営業担当チームリーダー(元総合商社マン)を採用。 結果として、市場調査及びコンピューターネットワーク事業における飛躍的な拡大を齎した。 |
| 1999年 |
12月31日に創設20周年を記念した。 |
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| * 1999年〜に関してはITA NEWSをご覧下さい。 |
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